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魅力ある清水を創る会
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ぶらっと清水【第6回】屋形船の原点&豊臣の船が清水港にも浮かんでいた! / The Origin of Yakatabune & Toyotomi’s Ship Once Sailed in Shimizu Port!

  • 執筆者の写真: 山内 真一
    山内 真一
  • 2024年12月4日
  • 読了時間: 13分





<今日のお散歩まとめ>


  • 武田水軍や海賊の船には「安宅船(あたけぶね)」「関船(せきぶね)」「小早(こはや)」の3種類があり、安宅船は戦艦に相当する大型船、関船は中型、小早は小型で駆逐艦のような役割を果たしていた。

  • フェルケール博物館では、安宅船や関船、江戸時代の小早の模型に加え、関船を改造した将軍や大名の船「御座船(ござぶね)」も展示されている。

  • 安宅船の模型は10分の1スケールで全長約2.5メートルあり、武田家の菱形の紋が付いた帆や、弓や鉄砲を撃つための鉄砲狭間が特徴。

  • 安宅船には敵船に飛び移るための倒れる板が装備され、船を奪い取る効率的な戦法が取られていた。

  • 戦国時代の安宅船や関船は江戸時代に武装解除され、「御座船」に改造され、将軍や大名が富士山を眺めたり宴を楽しむために使用された。

  • 御座船は現代の屋形船のルーツとされ、隅田川での花見や庶民の娯楽として発展していった。

  • 御座船や屋形船の文化が今も残っていることは、日本の文化継承の証であり、特別な意義を持つ。

  • 清水港の船の歴史を感じることで、現代の屋形船や清水の文化に対する理解が深まる。

  • 清水港での散歩を通じて、歴史と文化を楽しむことができると案内が締めくくられた。


【提供】



[協力]きものとしずおかさま



 

【ぶらっと清水 第6回】


波音ちゃん:

前回は武田水軍や海賊の話を伺いましたが、なんとその船の模型がフェルケール博物館にあると聞きました! 今日はフェルケール博物館をスタート地点にお散歩していきます。椿原さん、まず教えていただきたいのですが、武田水軍の船ってどんな船だったんですか?


椿原さん:

水軍や海賊が使っていた船には主に3種類あります。

まず、一番大きいものが「安宅船(あたけぶね)」です。名前の通り「安全な家」のような船で、現代で言えば戦艦に相当します。次に少し小型の「関船(せきぶね)」、そしてさらに小さい「小早(こはや)」があります。この小早は、現代で言う駆逐艦のような存在でした。


波音ちゃん:

その3種類の船が一緒に船団を作っていたんですね。フェルケール博物館にはそれらの模型が展示されているんですか?


椿原さん:

はい、安宅船や関船のほかに、江戸時代の小早や、関船を改造した将軍や大名が使う「御座船(ござぶね)」の模型も展示されています。どれも大きな模型なので迫力がありますよ。


波音ちゃん:

すごいですね!この安宅船の模型、どれくらいの大きさなんですか?


椿原さん:

この模型は10分の1のスケールで、全長約2.5メートルあります。武田家の菱形の紋がついた帆が特徴的ですよ。また、船体には鉄砲狭間(はざま)があり、ここから弓や鉄砲を撃つように作られています。


波音ちゃん:

船には敵船を奪う仕掛けがあったとか?


椿原さん:

そうです。安宅船には外側に倒れる板が装備されていて、それを使って敵船に飛び移り、船を奪う仕組みになっています。船や人を傷つけるだけでなく、敵を捕虜にして自分たちのために使う、効率的な戦法だったんですね。


屋形船のルーツ:御座船

波音ちゃん:

御座船が現代の屋形船のルーツだと聞きましたが?


椿原さん:

そうです。戦国時代の安宅船や関船が江戸時代になると武装解除され、将軍や大名が使う「御座船」に変わりました。徳川家康も駿河湾で2艘の御座船を所有し、富士山を眺めたり宴を楽しんだりしていたそうです。今の隅田川に浮かぶ屋形船は、この御座船の流れを汲んでいます。


波音ちゃん:

屋形船が清水や江戸で庶民にも愛されていた歴史を知ると、現代の屋形船がさらに特別に感じますね。


椿原さん:

そうですね。御座船や屋形船の文化が今も残っているのは、日本の文化継承の素晴らしさだと思います。


波音ちゃん:

本当にそうですね!清水港の船の歴史を感じながら、お散歩するのがますます楽しみになりました。今日はありがとうございました!


椿原さん:

こちらこそ、ありがとうございました。またぜひ来館してください!



 

【観光案内ガイド風】


ようこそ!清水へ!


清水港へお越しいただき、ありがとうございます。本日は、清水の歴史と文化を体感する特別な旅にご案内します。最初に訪れるのは、フェルケール博物館。ここには、武田水軍や海賊が使用した歴史的な船の模型が展示されています。


まず、水軍や海賊が使用した船には、主に3種類あります。一番大きなものは「安宅船(あたけぶね)」です。「安全な家」のような意味を持ち、現代で言う戦艦に相当します。次に少し小型の「関船(せきぶね)」、さらに小さい「小早(こはや)」があります。この小早は、駆逐艦のような速さを持つ小型船です。


フェルケール博物館には、これらの船の10分の1サイズの模型が展示されています。例えば、安宅船の模型は全長約2.5メートルあり、武田家の菱形紋が付いた帆が目を引きます。また、鉄砲狭間(はざま)が船体にあり、敵船に弓や鉄砲を放つ仕組みも再現されています。さらに、倒れる板が装備されており、これを使って敵船に飛び移る工夫がされていました。このような工夫によって、敵船を自分たちのものにすることが目的だったのです。


さらに、江戸時代には、この安宅船や関船が「御座船(ござぶね)」へと改造されました。徳川家康は駿河湾に2艘の御座船を所有し、富士山を眺めたり、宴を楽しむために使用していました。この御座船が、現代の屋形船のルーツとなっています。


このような船の歴史は、清水港の発展に深く関わっています。戦国時代には清水港が大きな船が行き交う場所であり、豊臣の船も清水に運ばれた記録があります。こうした歴史を知ることで、清水の文化がさらに魅力的に感じられることでしょう。


ぜひ、フェルケール博物館で展示をご覧いただき、清水港の豊かな歴史を体感してください!



Welcome to Shimizu Port! Today, I’ll guide you on a special journey through the rich history and culture of this iconic harbor. Our first stop is the Verkehr Museum, which showcases historical models of ships used by the Takeda navy and pirates.

In the era of naval warfare, three main types of ships were commonly used. The largest was the "Atakebune," which translates to "safe house ship," akin to modern-day battleships. Slightly smaller was the "Sekibune," followed by the "Kobaya," a small and swift vessel resembling modern destroyers.

At the Verkehr Museum, you can see scale models of these ships, including a 1:10 replica of the Atakebune, measuring approximately 2.5 meters in length. The ship’s design features the Takeda clan's diamond-shaped crest and gun ports for shooting arrows and firearms. Ingeniously, the ship was equipped with collapsible planks, allowing warriors to board enemy ships and capture them intact.

During the Edo period, these warships were transformed into "Gozabune," luxurious vessels used by shoguns and feudal lords for leisure. Tokugawa Ieyasu owned two such ships in Suruga Bay, where he enjoyed viewing Mount Fuji and hosting banquets. The Gozabune became the predecessor of modern-day yakatabune, or pleasure boats.

The rich maritime history of Shimizu Port is also tied to its role as a hub for large vessels during the Sengoku era. Even ships associated with the Toyotomi clan were transported to Shimizu. Understanding this history adds depth to your appreciation of Shimizu's cultural legacy.

Please take your time to explore the Verkehr Museum and immerse yourself in the fascinating history of Shimizu Port!


 

おっはの~ん。

清水港擬人化キャラクター七海波音です。


ぶらっと清水始まります。

この番組は、

いつかきっと会えるよね、鈴与グループ。

日の出で遊ばう、清水港振興。

静岡商工会議所の、魅力ある清水を創る会。

静岡の観光振興を推進する、公益財団法人するが企画観光局。

の提供でお送りいたします。


さあ、今日のお散歩のスタートは、前回、武田水軍や海賊のお話を教えていただきました。

なんと、その船の模型がフェルケール博物館にあるということで、今回はフェルケール博物館からスタートです。

フェルケール博物館の椿原さんと、ぶらっとお散歩していきます。

椿原さん、早速教えてほしいんですけど、どんな船だったんですか。


はい、水軍とかと海賊の船ってのは3種類ありまして、一番大きいものが安宅船って言います。

安全の安に自宅の宅に船って書くんですね。

安宅船って言います。

これが今で言ったら戦艦にあたるものだと思いますね。


それがちょっと小さいものが関船、箱根の関の関ですね。

その船って書きます。これがちょっと小さいんですね。


それから、もっと小さい船ですね。小早と言います。

小さくて早いっていう船にですね。今の駆逐艦にあたるものでしょうかね。


その3種類があって船団を築いていたっていうふうに言われてます。


フェルケール博物館にですね、その安宅船とそれから関船、それから江戸時代の小早の模型もあります。

それから、関船を江戸時代になってから、改造して作りました、御座船という船ですね、将軍とか、あの大名が使った船ですけども、その模型もフェルケール博物館で展示をしてますのでね、ぜひそれ見てみてください。


これは大きい模型ですね。

私よりぜんぜん大きいです。

これが安宅船なんですね。

ちなみに、この模型ってどれくらいの大きさあるんですか。


はい、これ、まず始め安宅船なんですけども、武田の菱形がついた帆がありますけども、それと船体が大体2メーター50くらいかな、今これ10分の1の模型になってます。

よくよく横を見てもらうと、こう、なんでしょう、板みたいのが並んで立ってますよね。

この板、真ん中に穴が開いていて、ちょっと、また丸い木で塞いであるんですけど、これが倒れるように作ってます。


これを後ろの壁といいますかね、それについてるのと同じ、鉄砲狭間や狭間になります。ここから敵に向けて弓とか、それから鉄砲打ってたんですね。


ですけども、この立板ですけども外に倒れるように作ってあります。


それと、下の人が混む場所ですね、ここにも立板があるんですけども、これも2段式になって外に倒れるように作ってあります。

実はこれを倒して敵船に飛び移るように作ってあるんですね。

これ漫画のワンピースの一場面にありますけども、それと同じですよね。


これは、敵戦に飛び移って、敵を倒すんですけども、壊すというか殺すんではなくて、敵の船を絡め取って自分のものにしてしまうための装置ですね。


それから敵も殺してしまうんではなくて、生け捕って自分の奴隷として使うそういうために、この装置ついてたんですね。



当時は船ってものすごく貴重だったものですから、敵の船とか敵を自分のものとして、新たに、また自分の船それから例として使うということを考えていたようです。


昔とか、全部倒しちゃってたのかなと思ってましたので、意外です。

他の船についても教えてください。


それからもう一つ、関船というものもありますね。


これちょっと小型の船なんですけども、これは、海賊とか水軍が、まだ本当に武士化する前ですよね、室町時代などに、勝手にですよね、公の関所ではなくて、自分たちが関所を作って、その関所を通る船から関船といって、銭を徴収してたんですよね。


そういったことを行っていた船の名残として、関船という名前がついてるんじゃないかなっていうふうに思います。

この安宅船と関船や、それからもうちょっと小さな小早というのがセットになって、戦国時代の船団を作ってました。


それが江戸時代になって、武装解除をして、安宅船自体はものすごく戦闘能力が高かったものですから、幕府が警戒をして、全てこれは破棄をさせてしまいました。

関船については武装解除をした後に改造をして、将軍や大名が自分たちの遊興といいますかね、楽しみであったりとか、それから大名行列の代わりに使ったりするために作り替えて、御座船、御ん座す、座るための船ですね、それに変身をしました。


これについては、徳川家康の場合は2艘、駿河湾に置いていたんですけども、富士山を眺めたりとか、中でお酒飲んだりとか、踊りを見たりとかっていうふうに使ったというふうに考えられています。

これは今の隅田川にあるような屋形船の原型になったものになります。


それから、小早というのは、船足が速い船なんですけども、小型の駆逐艦にあたるもので、これが御座船の周囲を固めていて、主を守っていたということになります。



屋形船のルーツが駿河湾に浮かんでいたんですね。

御座船の模型を見ると、ものすごく座敷が広いんですが、何畳くらいあったのかってわかっているんですか。


はい、大体、博物館にあるものは10分の1から9分の1くらいの大きさで作ってあるんですけども、それを考えると25メーターくらいの大きさかなっていうふうに思われます。


ただし、実際にどれくらいの大きさっていうのを、なかなか江戸時代の文献には書いてないです。どういう大きさの書き方をすると通知していたかというと、団長炉っていう書き方をしてます。

炉の大きさにもよるんですけども、その炉の数が50町であったりする。

すると右と左に25の炉が並ぶということで、それで大きさを表していたっていうふうに考えられます。25メーターから30メーターぐらいかなっていうふうに考えていただければいいんじゃないかなと思います。


やっぱりかなり大きいですね。


私は屋形船って、東京で一度乗ったことがあるだけなんですが、その大きさって、体感的に雑誌だけで、現代の屋形船の方ぐらいある気がします。


この御座船が屋形船のルーツということですが、これは清水発祥というわけではなく、江戸とかにもあったんですよね。


幕府の御座船については、深川にちゃんと船倉があってそこに収めていたんですよね。


幕府が例えば、桜の時期なんかは、御座船から船を御座船を船を出して、将軍を乗せて隅田川を北上したりとかして、ちゃんと花見の宴をやってるんですよね。

そういうものがちゃんと浮世絵に残ってるんですよ。


ただしその浮世絵については、江戸時代の浮世絵じゃなくて、明治に入ってから。

だって、幕府のものをね、浮世絵に書いて江戸時代に出してたら、怒られますよね。


だからそれは明治に入ってからなんですけども、それだけ明治に入っても、みんなが浮世絵を買ってたっていうのは、相当、庶民がそれを見て、すげえなって思ってたっていうことですよね。


ですので、江戸時代にはその幕府の御座船を真似して屋形船を作って、その中で飲み食いをしたりとか、一番残ってるのは屋形船が江戸の花火を見ているところ、その絵がものすごくたくさん残ってるんですよ。


だから庶民は、あの御座船を見て、いいなと思う。

ちゃんと御座船に似た屋形船を作って、自分たちの楽しみとして作って、使ってたっていうことですよね。


それを知らず知らずのうち、今、令和の時代でも、真似して、我々は遊んでるっていうことだと思います。


ですので、江戸時代の初めの頃の風習が今でも残ってるっていうふうに考えて、僕はいいんじゃないかなと思います。


その浮世絵もいつか見てみたいです。

時を超えても人が感動する景色って変わらないんですよね。


自分のすごい昔の先祖とも、屋形船と花火なら同じ話ができますね。

昔からこういう文化が清水にもあったって、嬉しいですね。


そうですね。

僕も今ちょっと思い出してるんですけども、例えばね、あの、白村江の戦いで、庵原氏が清水から、江尻かその頃は、戦の船を出してたりとか。

それから、大楠を切って、清水の港付近で大船を作ったっていう記録も、確か戦国時代の終わりくらいにありましたね。

それからだよな。


大阪から豊臣の船を清水に移したとかね、そういう話もありますから、意外と清水の港っていうのは、大きな船が行き交うっていうか来港する場所って言えるかもしれないですね。


今、大阪から豊臣の船が清水に来ているっていう、さらに気になるキーワードが出てきたんですが、これどういうことですか。


これまだ、また細かく話すと、二、三時間経っちゃうんですけども、大阪冬の陣、夏の陣といって、豊臣秀吉の息子の豊臣秀頼と淀殿が大阪城で攻められて亡くなった話ありますよね。

あのときに豊臣の船を清水、それから江戸に運んでるんですよね。


で、その話って言いますかね、豊臣の船を清水に運んだっていうことが清水の廻船問屋とか、太平洋海軍とかっていうのに関わっていくんですよ。

それはこれからのお話にしたいと思います。


はい、ありがとうございました。

あっという間に時間が来ましたので、楽しいお話もここまで。

来週もまたお楽しみにです。


この番組は、

いつかきっと会えるよね、鈴与グループ。

日の出で遊ばう、清水港振興。

静岡商工会議所の、魅力ある清水を創る会。

静岡の観光振興を推進する、公益財団法人するが企画観光局。

の提供でお送りしました。

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