top of page
burattぶらっと清水
みのわ神社001.png

ぶらっと清水【第3回】美濃輪稲荷神社のヒミツ / The secrets of Minowa Inari Shrine






Welcome to Shimizu Port!


Today, I’ll be guiding you through one of Shimizu’s most historically rich and culturally significant sites: Minowa Inari Shrine. This symbolic shrine is located just beyond the large red torii gate that you can see from Jirocho Street, where we visited last time.


Minowa Inari Shrine has a deep connection with Shimizu Port’s history, having been supported by many merchants and shipping agents who played pivotal roles in the port's development. As we enter, take a moment to look at the stone pillars flanking the entrance. You’ll notice that the name "Yamamoto Chogoro" is engraved on one of them. This is the real name of Shimizu’s legendary hero, Shimizu Jirocho.


These stone pillars were donated by people who had strong ties to the port. Many names engraved here belong to merchants and shipowners, including those who transported tea and lacquerware from Shimizu to Yokohama. In fact, traces of this connection between Shimizu and Yokohama can still be seen in inscriptions from the Yokohama district, which show just how intertwined the two cities were in trade during that era.


Now, let's step inside the shrine grounds. You’ll notice a series of red torii gates, reminiscent of Fushimi Inari in Kyoto. Before we approach the main hall, I’d like to show you the shrine office to your right. Inside, you’ll find ema—wooden plaques that were donated by those who played significant roles in the port’s history. One of the most notable is an ema depicting the steamship Taihomaru, which was donated by a man named Yohei Suzuki in 1880. This ship was famous for transporting tea and lacquerware from Shimizu to Yokohama.


A replica of Taihomaru can be seen at the Verkehr Museum, so I highly recommend you visit it. Even today, its size is truly impressive. Shimizu Port became Japan's first 24-hour operational port, playing a crucial role in Japan’s international trade.



<今日のお散歩まとめ>


お散歩スタート

前回到着した次郎長通りから見えた大きな赤い鳥居をくぐり、美濃輪稲荷神社からスタート。

フェルケール博物館の椿原さんと共にお散歩。


【美濃輪稲荷神社の紹介】

美濃輪稲荷神社は、清水港に関わった商人や廻船問屋が石の柱(玉垣)を奉納し、その名前が刻まれている。


【次郎長の関与】

清水次郎長(本名:山本長五郎)の名前も玉垣に刻まれている。

その他の名前: 静岡丸、三保丸、清川丸、鈴木与平など、清水港に関わった多くの人物や船の名前が見られる。


【横浜とのつながり】

玉垣には横浜2丁目の古い字で書かれたものもあり、横浜の港湾に関わった商人たちの出張所があった名残が見られる。

歴史的な調査: 横浜港博物館の学芸員も訪れ、横浜でも同様の玉垣があるか調査を予定している。


【境内の見どころ】

伏見稲荷のように赤い鳥居が連なっている。

貴重な絵馬: 社務所に貴重な絵馬があり、明治13年に鈴木与平が奉納した汽船大砲丸の絵馬が展示されている。


【フェルケール博物館】

絵馬の模型: フェルケール博物館には、鈴木与平が奉納した大砲丸の絵馬を元にした模型が展示されている。

大砲丸の歴史: 大砲丸は、お茶や漆器、和紙などを横浜に運ぶために使われた蒸気船。清水港が24時間稼働する日本初の港になった背景が紹介される。



【提供】





 

【ぶらっと清水 第3回】


七海波音: さて、今日のお散歩は前回の続き、次郎長通りから見えた大きな赤い鳥居をくぐり、「美濃輪稲荷神社」からスタートします!今日も、フェルケール博物館の椿原さんと一緒にお散歩していきます。椿原さん、ここはどんな神社なんでしょうか?


椿原さん: そうですね、今、神社の正面に立っていますが、この入口の両側に石のフェンスが見えますよね。この柱にはたくさんの名前が彫られていて、ここをよく見ると「山本長五郎」という名前があります。


七海波音: これは、清水のヒーロー、次郎長さんの本名ですね!


椿原さん: そうです。この美濃輪稲荷神社は、清水港に関わった商人や廻船問屋たちが奉納した石柱で囲まれています。奉納者の名前が刻まれていて、例えば、山本長五郎や、横浜までお茶や漆器を運んだ船の名前などが彫られています。


七海波音: なるほど、清水港に関わってきた人々の名前がここに残っているんですね!


椿原さん: そうなんです。興味深いのは、横浜の商人たちもここに名を刻んでいる点です。横浜2丁目の記録が残っていて、当時、横浜に清水の廻船問屋が海外輸出のための拠点を構えていました。その名残がここに残されているんですよ。


七海波音: さて、神社の境内に入ってみましょう。伏見稲荷のような赤い鳥居が続いていますが、拝殿の方へ向かいましょうか。


椿原さん: 拝殿に向かう途中、右手にある社務所に貴重な絵馬がかかっています。港で活躍した人々が奉納した絵馬がいくつかあって、明治13年には、鈴木与平さんが描いた汽船「大宝丸」の絵馬も奉納されました。


七海波音: それはすごいですね!フェルケール博物館にもその模型が展示されていますよね。


椿原さん: そうなんです。こちらの模型は、その絵馬をもとに復元されたものです。「大宝丸」は清水から横浜までお茶や漆器などを運んだ船で、その大きさには驚かされます。


七海波音: 本当に大きな船ですね!この船が日本の重要な輸出品であるお茶を運んでいたんですね。


椿原さん: そうです。清水港は24時間稼働の日本で初めての港となり、積み下ろしが盛んに行われていました。清水港は、日本の貿易において非常に重要な役割を果たしていたんですよ。



 

【観光案内ガイド風】


ようこそ清水港へ。

今日は、清水の歴史と文化を感じながら美濃輪稲荷神社をご案内します。この神社は、清水の象徴的な場所であり、前回訪れた次郎長通りから見える赤い鳥居をくぐった先にあります。


美濃輪稲荷神社は、清水港に関わる多くの商人や廻船問屋によって発展した歴史的な場所です。まず、入口の両側に並ぶ石柱をご覧ください。よく見ると、「山本長五郎」という名前が刻まれています。これは、清水の英雄として知られる「清水次郎長」の本名です。


この石柱は、港に関わる人々が奉納したもので、清水港の歴史に深く関わっています。例えば、横浜までお茶や漆器を運んだ船の名前や、商人たちの名前も彫られているんです。横浜2丁目にまでその名残が残っていて、当時の清水と横浜のつながりが伺えます。


さあ、次は境内へと進んでみましょう。この神社には赤い鳥居が連なっており、まるで伏見稲荷を彷彿とさせる風景です。参拝をする前に、少し右手にある社務所をご案内します。ここには、港に関わる人々が奉納した絵馬が飾られています。その中でも特に貴重なのが、明治13年に鈴木与平さんが奉納した「大宝丸」の絵馬です。この船は、清水から横浜までお茶や漆器を運んだことで有名です。


実際に「大宝丸」の模型がフェルケール博物館に展示されていますので、ぜひご覧ください。今見てもその大きさには驚かされます。清水港は日本で初めて24時間稼働の港として、貿易において非常に重要な役割を果たしていたのです。


Welcome to Shimizu Port!


Today, I’ll be guiding you through one of Shimizu’s most historically rich and culturally significant sites: Minowa Inari Shrine. This symbolic shrine is located just beyond the large red torii gate that you can see from Jirocho Street, where we visited last time.


Minowa Inari Shrine has a deep connection with Shimizu Port’s history, having been supported by many merchants and shipping agents who played pivotal roles in the port's development. As we enter, take a moment to look at the stone pillars flanking the entrance. You’ll notice that the name "Yamamoto Chogoro" is engraved on one of them. This is the real name of Shimizu’s legendary hero, Shimizu Jirocho.


These stone pillars were donated by people who had strong ties to the port. Many names engraved here belong to merchants and shipowners, including those who transported tea and lacquerware from Shimizu to Yokohama. In fact, traces of this connection between Shimizu and Yokohama can still be seen in inscriptions from the Yokohama district, which show just how intertwined the two cities were in trade during that era.


Now, let's step inside the shrine grounds. You’ll notice a series of red torii gates, reminiscent of Fushimi Inari in Kyoto. Before we approach the main hall, I’d like to show you the shrine office to your right. Inside, you’ll find ema—wooden plaques that were donated by those who played significant roles in the port’s history. One of the most notable is an ema depicting the steamship Taihomaru, which was donated by a man named Yohei Suzuki in 1880. This ship was famous for transporting tea and lacquerware from Shimizu to Yokohama.


A replica of Taihomaru can be seen at the Verkehr Museum, so I highly recommend you visit it. Even today, its size is truly impressive. Shimizu Port became Japan's first 24-hour operational port, playing a crucial role in Japan’s international trade.


 

おっはの~ん。

清水港擬人化キャラクター七海波音です。


ぶらっと清水始まります。


この番組は

いつかきっと会えるよね、鈴与グループ。

日の出で遊ばう、清水港振興。

静岡商工会議所の、魅力ある清水を創る会。

静岡の観光振興を推進する、公益財団法人するが企画観光局。

の提供でお送りいたします。


さあ、今日のお散歩のスタートは、前回到着した次郎長通りから見えた大きな赤い鳥居をくぐった、ここ美濃輪稲荷神社からスタートです。


前回に引き続き、フェルケール博物館の椿原さんとぶらっと、お散歩していきます。


ここってどんな神社なんだろう。

椿原さんこの美濃輪稲荷神社について、いろいろ教えてください。


はい、今、美濃輪神社の正面に来たんですけども、この美濃輪神社の入口のところ、両側に今、石のフェンスのようなものがありますよね。


ここに字がいっぱい彫ってあるんですけども、ちょっとの柱を見てください。

山本長五郎って書いてありますよね。

これ、清水の次郎長の本名ですよね。


清水のヒーロー、次郎長さんですね。


実を言いますと、この美濃輪神社、清水の港に関わった商人であったりとか廻船問屋であったりとかいろんな人たちが、この玉垣っていうんですけども、柱を、石の柱をですね、奉納をしています。


その奉納者の名前を刻んでるんですけども、よくよく見ると、今言った、山本長五郎であったり、それから清水から横浜までお茶や漆器であったりとか、あの、紙が有名だったんですけど、そういったものを運んだ、静岡丸であったりとか三保丸であったりとか、清川丸、それからちょっとこちらを見ると、鈴木与平さんの名前もあります。

こういうふうに静岡清水の港湾に関わった人たちの名前が彫られています。


それから、もう一つ興味深いのは、こちらを見てください。

横浜二という字がちょっと特殊な古い字を使ってるんですけども、横浜北2丁目の誰だって書いてありますね。

これ、実は今の横浜県庁の新館の辺りにあたるんですけども、そこの横浜の2丁目、ここに静岡の商人、それから清水の廻船問屋の人たちが海外へ輸出をするための出張所を作ってありました。

その名残がこの玉垣の名前になります。


なるほど~。

いろんな名前が彫ってあるなあと思っていたんですけれども、清水の港湾にたずさわってきた方々のお名前だったんですね。

清水のほとんどの人が知らないと思います。


実は静岡でも重要な史跡になるんですけども、以前ですね、横浜の港博物館の学芸員の方がほとんどの人がいたときに、ここもみていただきました。


そうしましたら横浜も当時、日本で一番輸出が盛んだった、生糸を集めて海外に輸出する一番大きな港だったものですから、生糸の産地の群馬であったりとか栃木であったりとか、そういったところで、生糸の輸出に関わってた人たち、それから横浜の港湾に関わっていた人たちの、何かしら神社に玉垣を奉納して名前を刻んだものがあるんじゃないかなということで、横浜でも神社をちょっと調べてみようかなっていう話になっているそうです。


横浜でも調べるというお話しになっているんですね。


はい、どんな結果が出るかねちょっと楽しみにしてます。


ちょっと境内に入ってみましょうね。

伏見稲荷みたいに赤い鳥がすごく連なってますけども、これを組むでいくとこの頃拝殿が新しくだったんで一度お参りしますか。


ちょっと右に顔よけると、社務所ありますけども、この中にですね、実は貴重な絵馬がかかってます。


この人は、すごく港でに関わる人たちが奉納したものが多いんですけども、この絵馬も奉納された立派なものがあります。


その一つにですね、明治13年に鈴木与平さんが奉納した、汽船大砲丸を描いたものがあります。


これはその当時清水から横浜にお茶を運んだ船になるんですけども、その模型が今、フェルケール博物館の常設展示に、展示をされてますので、社務所ではなくて、ちょっとフェルケール博物館の模型を見てみましょう。


でも、フェルケール博物館に戻ってきましたので、先ほどの絵馬のお話を聞かせてください。



はい、ここに今、写真があるんですけども、この汽船の絵馬が美濃輪神社に奉納されておりまして、明治13年に鈴木与平さんが使っていた大宝丸、大きな宝の船ですね、大宝丸という船の絵馬になります。

この絵馬を元に復元したのがこちらの模型になります。


想像の15倍ぐらい大きいですね。


この大宝丸がお茶を運んだりとかそれから、静岡でよく知られていた漆モノ、漆器であったりとか、それから今はあまり知られてないんですけども、静岡の紙、和紙は非常に有名だったんですけども、それらを積み込んで横浜に行き持って行っていました。

今見てもやっぱり大きいですよね蒸気船になります。


ですので、もうこの大きさの船になってくると、川をさかのぼれなくなったものですから、それで清水港から、博物館の前の清水港の波止場へと港を移動させたということになります。


それで、港の位置が移っていったんですね。

この大きな船から何か小さな船みたいのがでて、移動していったってことなんですね。


はいそうなりますね。

お茶自体も当時、日本の生糸に次ぐ重要な輸出品だったものですから、清水港かなり積み降ろしが激しいといいますかね、たくさん行われていました。


ですので24時間いつでも荷物の積み下ろし、荷役っていうんですけども、それを行うことをした日本で一番最初の港に至ったそうです。


なんと、清水港が、24時間稼働の日本で初めての皆様だったと思いました。

がんばりやさんだったんですね。


さて、あっという間に時間が来ましたので、楽しいお話もここまで。

来週もまたお楽しみにです。


この番組は、

いつかきっと会えるよね、鈴与グループ。

日の出で遊ばう、清水港振興。

静岡商工会議所の、魅力ある清水を創る会。

静岡の観光振興を推進する、公益財団法人するが企画観光局。

の提供でお送りしました。

bottom of page