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ぶらっと清水【第2回】清水湊と清水港? / The geographical changes of Shimizu Port





Welcome to Shimizu Port. Today, I will guide you through the history of Shimizu Port and the Shizuoka Railway, with a particular focus on their connection with tea.


First, we start at Shizuoka Railway's Shin-Shimizu Station. While Shin-Shimizu Station is now the terminal station, the railway used to extend further to the museum. Let’s walk to that location.


This area was once a route for transporting tea. Large ships are docked at the port now, but this used to be the central area of Shimizu Port. During the Edo period, Shimizu Port was a river port along the Abe River. As ships grew larger in the Meiji era, they could no longer travel up the river. Therefore, a wharf was built in front of the museum, and tea began to be exported from there.


The Verkehr Museum was built to honor the modernized Shimizu Port. The railway extended to this point to transport tea. Shimizu Minato and Shimizu Port are different entities with distinct development histories, so we refer to them differently.


Next, we will head to S-Pulse Street. This street was formerly known as "HATOBA Street." During the Edo period, a bridge called Minato Bridge was built over the Abe River, and a road was created leading to the wharf. This legacy is now seen in S-Pulse Street. Appreciate the history that predates the birth of the S-Pulse football team.


We have now arrived at Minato Bridge. This was the central area of Shimizu Minato during the Edo period. Stone walls were constructed here, and when ships arrived, stone steps were built on the walls to allow cargo to be unloaded directly into the warehouses of the shipping agents.


Let's walk towards Jirocho Street. This street houses the birthplace of Jirocho. The atmosphere of the old times is preserved, and the building has been earthquake-proofed and renovated into a tourist facility. Another related spot is Baiin Temple, where Jirocho's personal items are displayed.


Finally, we will visit Minowainari Shrine. This shrine is connected to the people associated with Shimizu Port. It is a place where you can feel the history and culture of Shimizu Port.


This concludes today’s tour. Thank you for joining us. I hope you enjoyed learning about the history of Shimizu Port and the Shizuoka Railway, especially their connection with tea. We look forward to guiding you through more fascinating history and culture next time.


<今日のお散歩まとめ>


【静岡鉄道の歴史】

  • 昔は静岡鉄道が新清水から博物館前まで伸びていた。

  • 清水港の豪華客船が停泊する日の出埠頭の話。

  • 江戸時代の清水みなとは巴川を遡った川港だったが、明治以降は船が大きくなり、現在の清水港が発展。

  • フェルケール博物館は近代化された清水港を顕彰するために建設。

  • 静岡鉄道は博物館前の波止場までお茶を運ぶために敷設された。


【清水港の発展】

  • 清水みなとと清水港の発展過程の違い。

  • お茶を清水港から横浜港へ運び、アメリカに輸出。


【エスパルス通り】

  • エスパルス通りは昔、波止場通りと呼ばれていた。

  • 江戸時代には42件の廻船問屋があり、波止場通りの道を作った。

  • 現在のエスパルス通りの広い道はその名残。


【港橋と次郎長通り】

  • 港橋の左右両方が清水みなとだった。

  • 江戸時代には石垣が組まれ、船が着くと石垣の階段から荷物を積み下ろしていた。

  • 港橋を過ぎて次郎長通りに入る。


【次郎長の生家】

  • 福井文具店の福井さんが手を振る。

  • 次郎長生家は耐震補強をして観光施設としてリニューアル。

  • 鰻の寝床のような昔の家の雰囲気を感じる。


【梅蔭寺】

  • 梅蔭寺には次郎長の遺品が紹介されている。

  • 観光客も多く訪れる。


【美濃輪稲荷神社】

  • 清水港と関係者のゆかりの神社。

  • 締めと提供



【提供】





 

【ぶらっと清水 第2回】


七海波音: おっはの〜ん。清水港擬人化キャラクター、七海波音です。「ぶらっと清水」第2回、始まります!今日は静岡鉄道新清水駅からスタートです。前回に引き続き、フェルケール博物館の学芸部長、椿原さんと一緒にお散歩します。


七海波音: 椿原さん、前回のお話で、静岡鉄道が清水港までお茶を運んでいたということでしたけど、具体的にはどの辺なんでしょうか?


椿原さん: はい、皆さん静岡鉄道と聞くと新清水駅が終点と思っているかもしれませんが、昔は博物館の前まで伸びていました。では、実際にその場所まで歩いてみましょう。


七海波音: はい!今日も港に大きな船が停泊していますね。ここまでお茶を運んでいたんですか?


椿原さん: そうです。江戸時代の清水港は巴川を遡った川港でしたが、明治に入って船が大きくなり、川を遡ることができなくなりました。そこで、博物館の前に波止場を作り、そこからお茶を輸出していました。


七海波音: 清水みなとと清水港は別物だったんですね。静鉄の駅がここまで伸びていたなんて驚きです。


椿原さん: そうですね。明治時代には清水港から直接アメリカにお茶を輸出していたため、横浜にあった商館が静岡に移り、清水から直接輸出していました。静岡鉄道もそのために敷設されたんです。


七海波音: エスパルス通りも歴史がありますよね。昔は何と呼ばれていたんですか?


椿原さん: エスパルス通りは「波止場通り」と呼ばれていました。江戸時代には巴川に港橋をかけ、波止場までの道を作りました。その名残が今のエスパルス通りです。


七海波音: そうだったんですね。さあ、次は港橋に行ってみましょう。清水みなとの時代の清水港の跡地も見てみたいです。


椿原さん: 清水みなとは日出橋の左右に広がっていました。江戸時代にはこのあたりが清水みなとでした。次郎長通りに向かって歩いていきましょう。


七海波音: ここが次郎長通りですね。福井文具店の福井さんが手を振ってくれています。ここは次郎長生家なんですね。本当に昔のまま残っているんですか?


椿原さん: 何年か前に耐震補強をして観光施設としてリニューアルしました。昔の雰囲気を保ちつつ、現代の観光客にも楽しんでいただけるように工夫されています。


七海波音: 面白いですね。次郎長さん関連の他のスポットも教えてください。


椿原さん: 梅蔭寺です。ここには次郎長の遺品が展示されています。今日はバスでたくさんの観光客が訪れています。


七海波音: 梅蔭寺も行ってみたいです。次は美濃輪稲荷神社ですね。


椿原さん: はい、ここが目的地です。清水港と関わりの深い人たちのゆかりの神社です。


七海波音: ありがとうございました。楽しいお話であっという間に時間が来ました。次回もまたお楽しみに!



 

【観光案内ガイド風】


ようこそ清水港へ。本日は、清水港と静岡鉄道の歴史についてご案内いたします。特にお茶との関わりについて詳しくお話しします。


まずは、静岡鉄道新清水駅からスタートです。静岡鉄道は、現在の新清水駅が終点ですが、昔はここからさらに博物館の方まで伸びていました。実際にその場所まで歩いてみましょう。


この辺りがかつてのお茶を運んだルートです。港に大きな船が停泊していますが、かつてこの場所は清水港の中心地でした。江戸時代の清水港は巴川を遡った川港でしたが、明治時代に船が大きくなると、川を遡ることができなくなりました。そのため、博物館の前に波止場を作り、そこからお茶を輸出するようになりました。


フェルケール博物館は、その近代化された清水港を顕彰するために建設されたもので、ここまで静岡鉄道が伸びていたのも、お茶を運ぶためでした。清水みなとと清水港は別物で、発展過程が異なるため、わざと呼び方を変えて話しています。


次に、エスパルス通りに向かいます。この通りは「波止場通り」と呼ばれていました。江戸時代には巴川に港橋がかけられ、波止場までの道が作られました。その名残が今のエスパルス通りです。エスパルス誕生前からの歴史を感じてください。


次に港橋にやってきました。ここはかつての清水みなとの中心地でした。江戸時代にはこのあたりに石垣が組まれ、船が着くと石垣に石の階段が作られていました。そこから廻船問屋に荷物を積み下ろし、倉庫に入れることができました。


さあ、次郎長通りに向かって歩いていきましょう。この通りには次郎長生家があります。ここは昔のままの雰囲気を残しつつ、耐震補強されて観光施設としてリニューアルされています。次郎長さんに関連する他のスポットとして、梅蔭寺もあります。ここには次郎長の遺品が展示されています。

最後に美濃輪稲荷神社に向かいます。ここは清水港と関わりの深い人たちのゆかりの神社です。清水港の歴史と文化を感じることができる場所です。


本日のツアーはここまでです。ご参加いただきありがとうございました。清水港と静岡鉄道の歴史、特にお茶との関わりを楽しんでいただけたなら幸いです。次回もまた、素晴らしい歴史と文化をご案内できることを楽しみにしています。


Welcome to Shimizu Port. Today, I will guide you through the history of Shimizu Port and the Shizuoka Railway, with a particular focus on their connection with tea.


First, we start at Shizuoka Railway's Shin-Shimizu Station. While Shin-Shimizu Station is now the terminal station, the railway used to extend further to the museum. Let’s walk to that location.


This area was once a route for transporting tea. Large ships are docked at the port now, but this used to be the central area of Shimizu Port. During the Edo period, Shimizu Port was a river port along the Abe River. As ships grew larger in the Meiji era, they could no longer travel up the river. Therefore, a wharf was built in front of the museum, and tea began to be exported from there.


The Verkehr Museum was built to honor the modernized Shimizu Port. The railway extended to this point to transport tea. Shimizu Minato and Shimizu Port are different entities with distinct development histories, so we refer to them differently.


Next, we will head to S-Pulse Street. This street was formerly known as "HATOBA Street." During the Edo period, a bridge called Minato Bridge was built over the Abe River, and a road was created leading to the wharf. This legacy is now seen in S-Pulse Street. Appreciate the history that predates the birth of the S-Pulse football team.


We have now arrived at Minato Bridge. This was the central area of Shimizu Minato during the Edo period. Stone walls were constructed here, and when ships arrived, stone steps were built on the walls to allow cargo to be unloaded directly into the warehouses of the shipping agents.


Let's walk towards Jirocho Street. This street houses the birthplace of Jirocho. The atmosphere of the old times is preserved, and the building has been earthquake-proofed and renovated into a tourist facility. Another related spot is Baiin Temple, where Jirocho's personal items are displayed.


Finally, we will visit Minowainari Shrine. This shrine is connected to the people associated with Shimizu Port. It is a place where you can feel the history and culture of Shimizu Port.


This concludes today’s tour. Thank you for joining us. I hope you enjoyed learning about the history of Shimizu Port and the Shizuoka Railway, especially their connection with tea. We look forward to guiding you through more fascinating history and culture next time.


 

おっはの~ん。


清水港擬人化キャラクター七海波音です。


ぶらっと清水始まります。


この番組は、

いつかきっと会えるよね、鈴与グループ。

日の出で遊ばう、清水港振興。

静岡商工会議所の、魅力ある清水を創る会。

静岡の観光振興を推進する、公益財団法人するが企画観光局。


の提供でお送りいたします。


今日のお散歩のスタートは、静岡鉄道新清水駅からスタートです。


前回に引き続き、フェルケール博物館の椿原さんとお散歩していきます。


椿原さん、前回はこの静岡鉄道で清水港までお茶を運んでいたというお話でしたけど、実際、場所でいうとどの辺なんですか。


はい。皆さんね、静岡鉄道のこの前話しましたけども静岡鉄道というと、新清水が終点っていうふうに思っちゃってるんですけども、そうではなくて昔はこの新清水から博物館の方まで伸びてました。


ですから、今から博物館の前までちょっと行ってみましょう。


はい!今日も港に大きな船が来てますね。


このあたりまでお茶、運んでたんですか。


はい、今ね、清水港というと、豪華客船が停泊する日の出埠頭、ここが港だと思うんですけどもちょっと説明をしますね。


江戸時代の清水みなとって、よく私呼んでるんですけどもそれは巴川をちょっと遡った、1キロぐらい遡った川港が江戸時代の清水港です。


ところが明治に入って、船がだんだん大きくなってきますよね。


そうすると、もう船が川をさかのぼりなくなったものですから、博物館が建っている前ですね、その博物館のすぐ前に波止場を作ります。

これが今、清水港という読んでる外港の一番の最初の部分になります。



ここから清水港が発展をしていったんですけども、実を言うとフェルケール博物館は、その近代化された清水港を顕彰するために、そのすぐ横に建設をしてあります。


実は静岡鉄道は、この博物館のすぐ前波止場まで伸びてたんです。

で、ここにお茶を運ぶために静岡鉄道が敷設されました。


清水みなとと清水港って、別物だったんですね。


それに、ここまで静鉄の駅が伸びてたのでびっくりです。


はい実を言うとみんなね、あの昔は清水港って呼んでたんですけども、二つやっぱりあの発展過程が違いますのでわざと呼び方を変えて話をするようにしています。


それから、先週の話の中でお茶を清水港から横浜港に運んだ。

それからアメリカに輸出をしていたっていうことををしたんですけども、実はこの清水港の近くに、横浜港との関係を示すような場所があります。

ですの、でちょっとそこまで歩いて行ってみましょう。


ぶらっと歩いていきましょう。

そういえば、エスパルス通りって、エスパルスが誕生する前からあったわけじゃないですか。

昔は何て呼んでたんですか。


はい、実はエスパルス通りは、本当にこの頃の名称ですよね。


その前は、波止場通りっていうふうに呼んでたんですけども、先ほど言った清水港、そこに、江戸時代には廻船問屋が42件あったというふうに伝わっています。


その廻船問屋の人たちが新しい波止場ができて、そこに仕事に行きやすくするために、まず初めに巴川に橋をかけて、その名前を港橋としたんですねその端から波止場までの間を太い道を作って波止場通りと呼んでたんです。


だから今この道ってすごく広いよね。大きいですよね。

その波止場通りを今はエスパルス通りというふうに呼んでいます。


そうだったんですね。

素敵な名前です。


さあ、港橋にやってきました。


先ほどのお話だと、この辺りが清水みなとと呼ばれていた時代の清水港だと思いますけど。

具体的にはどの辺なんでしょうか。


はい清水みなと自体は日だと橋の左も右も両方とも清水みなとだったんですけども、一番の本体は右側の辺りですね。

大体全長が800メーターくらい、清水みなとでしたね江戸時代には図面見ると、この辺りだけ石垣を組んであったんですよね。

船が着くとその石垣のところに石でちゃんと階段を作ってあってそこから廻船問屋のお宅にそのまま入ることができた。

荷物を積み下ろすことができて、そこの倉庫に入れることができたっていうことですね。

ちょっとそのまままっすぐ今日は歩いていきますけども、港橋を過ぎて100メーターくらい行くと左側が次郎長通りになりますので、その次郎長通りの方に入って、次の町通りを南側に向かってちょっと歩いていきます。


次郎長通りにやってまいりました。

あ、福井さん。福井文具店の福井さんが手を振ってくれました。

あ、ここ次郎長生家ですね。

椿原さん、ここって、本当に昔のまま残ってるんですか。


何年か前に耐震補強をして、成果あまり雰囲気を変えずに、観光施設としてもリニューアルしましたよね。お客様いっぱい出てきてるみたいですよ。


なるほど。

なんだか奥に長いおうちですね。

昔のおうちってみんなこんな感じだったんですかね。


はい、そうですね。街道に面したお宅っていうのは、その街道に面している長さがやっぱり税金のかけ方に関わってきますのでね、どうしても鰻の寝床のようになってきますよね。

昔の雰囲気すごくよく残ってると思います。


面白いですね。

昔の清水を感じる場所として面白いですよね。


椿原さん次郎長さん関連だと、他にどこかあるんでしょうか。


梅蔭寺ですよね。

梅蔭寺には清水の次郎長の遺品がちゃんと紹介されていますので、今日もバスで皆さん見学に来ているようですね。


外国人観光客の方も来てたし、たくさん行ってましたね。

この大きい鳥居、ここ美濃輪稲荷神社ですよね。


はい、ここが目的地になります。

清水港と清水港に関わった人たちのゆかりの神社になります。


はい、ありがとうございました。

時間が来ましたので、楽しいお話もここまで。

来週もまたお楽しみです。


この番組は、

いつかきっと会えるよね、鈴与グループ。

日の出で遊ばう、清水港振興。

静岡商工会議所の、魅力ある清水を創る会。

静岡の観光振興を推進する、公益財団法人するが企画観光局。

の提供でお送りしました。

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