Welcome to Shimizu Port. Today, we will explore the history and culture of Shimizu Port, focusing particularly on its connection with tea. I will be your guide.
First, we will head to the Verkehr Museum. This impressive brick building houses many exhibits related to Shimizu Port. One of the most striking displays is the wall filled with tea chests. These tea chests highlight the importance of Shimizu Port as a major hub for exporting tea across Japan and even overseas.
Since the Edo period, Shizuoka has been renowned as a major tea-producing region. Tea produced in the mountains was transported downriver to be processed near Asama Shrine and Sunpu Castle. It was then carried by oxen to Shimizu Port for export. Thus, Shimizu Port played a crucial role in shipping tea.
The labels displayed here, known as "Ranchi" labels, date back to the Taisho era and the 1920s to 1940s. These labels were made using woodblock prints in tea factories in Shizuoka, and the descendants of these factory workers still live in Shizuoka and have donated these authentic labels to the museum. Please take your time to appreciate these valuable exhibits.
Next, let's talk about where these tea chests were headed. Initially, they were transported from Shimizu Port to Yokohama and then exported to America. From 1906, direct exports from Shimizu Port to America became possible, and the tea chests displayed here are from that period.
The Shizuoka Railway was also constructed to transport tea. Tea transported from Shimizu Port to Yokohama was then shipped to America, spreading Japanese tea culture. Parts of the Shizuoka Railway still operate today, transporting people.
Now, let's touch on local tea production in Shimizu. The Abe River's upper reaches, particularly the Ashikubo area, were especially productive. Tea from this region was processed and exported from Shimizu Port.
In this way, Shimizu Port has played a vital role in spreading Japanese tea worldwide. As you explore the Verkehr Museum, you can feel the deep connection between Shimizu Port and tea.
This concludes today's tour. Thank you for joining us. I hope you enjoyed learning about the history of Shimizu Port and tea. We look forward to guiding you through more fascinating history and culture next time.
<今日のお散歩まとめ>
【フェルケール博物館】
清水港にまつわる歴史や展示物が豊富。
特に注目すべきは、壁一面に飾られたお茶の茶箱。
これらの茶箱は清水港から輸出されたお茶を保管していたもの。
【清水港とお茶の関係】
江戸時代から静岡はお茶の生産地として有名。
静岡の山で生産されたお茶が川を下り、清水港から全国や海外へ輸出された。
茶箱には、当時のお茶のラベル「蘭字」が貼られており、これは木版画で作られた。
【蘭字のラベル】
大正時代や昭和20〜30年代のものが展示されている。
ラベルは静岡のお茶工場で作られ、寄贈されたもの。
【輸出の歴史】
最初は清水港から横浜へ運び、そこからアメリカへ輸出。
明治39年以降、清水港から直接アメリカへ輸出が可能に。
【静岡鉄道の成り立ち】
静岡鉄道はお茶を運ぶために敷設された。
明治41年に開業し、現在も一部が人々の交通手段として利用されている。
【提供】
いつかきっと会えるよね、鈴与グループ。
日の出で遊ばう、清水港振興。
静岡商工会議所の、魅力ある清水を創る会。
静岡の観光振興を推進する、公益財団法人するが企画観光局。
【ぶらっと清水 第1回】
七海波音: おっはの〜ん。清水港擬人化キャラクター、七海波音です。第一回「ぶらっと清水」、始まります。今日は、学芸部長の椿原さんと一緒に、フェルケール博物館を訪れています。レンガ造りの立派な建物で、清水港にまつわる展示物がたくさんあります。
七海波音: 椿原さん、この壁一面に飾られた茶箱がとても気になりました。清水港とお茶ってどんな関わりがあったんですか?
椿原さん: はい、江戸時代から静岡はお茶の名産地でした。そのお茶を全国に販売するため、山の方で生産されたお茶を川を下って、浅間神社や駿府城の近くで製茶し、それを清水港から積み出していました。清水港はお茶を輸出する重要な港でした。
七海波音: なるほど、それでこんなにたくさんの茶箱があるんですね。ちなみに、この蘭字のラベル、誰がデザインしたものなんでしょうか?
椿原さん: ここにあるラベルは、大正時代や昭和20年代から30年代のものです。古い方のラベルは、木版画で作られたもので、静岡のお茶工場でラベルを作る人がいました。その子孫の方が、この博物館に寄付してくれた本物のラベルです。
七海波音: 全部本物なんですね。寄付された方々も静岡に住んでいるなんて素敵です。椿原さん、この茶箱たちは清水港からどこに向かっていたんですか?
椿原さん: まず横浜に運ばれ、そこからアメリカに向けて輸出されていました。明治39年からは、清水港から直接アメリカに輸出できるようになりました。いろいろなデザインのラベルがあり、例えばバラの花やインディアンが描かれています。
七海波音: 最初は横浜に運ばれていたんですね。静岡の山からお茶を運んでいたということでしたが、清水でもお茶が採れたんですか?
椿原さん: はい、清水でもお茶は採れましたが、特に盛んだったのは安倍川の上流、足久保という地域です。そこから川を下ってきたお茶が、浅間神社の近くで製茶されていました。清水港から直接輸出ができるようになったことで、横浜にあった商館が静岡に移り、清水からアメリカに輸出されました。
七海波音: 静岡鉄道が敷設されたのもそのためなんですね。面白いですね。静岡鉄道はお茶を運ぶためにできた鉄道だったんですね。
椿原さん: はい、その通りです。静岡鉄道の一部は現在も人を運ぶ部分として残っています。
七海波音: ありがとうございました。フェルケール博物館はぶらっとするだけで、静岡鉄道の歴史まで学べるなんてとても勉強になりました。さて、あっという間に時間が来ましたので、楽しいお話もここまで。来週もまたお楽しみに。
【観光案内ガイド風】
ようこそ清水港へ。今日は、清水港の歴史と文化を紐解きながら、特にお茶との関わりについてご案内します。私がガイドを務めさせていただきます。
まずは、フェルケール博物館に向かいます。ここはレンガ造りの立派な建物で、清水港にまつわる展示物がたくさんあります。中でも、壁一面に飾られた茶箱が目を引きます。これらの茶箱には、清水港が日本全国、さらには海外にお茶を輸出する重要な拠点だったことを物語っています。
江戸時代から静岡はお茶の名産地として知られていました。山の方で生産されたお茶は、川を下り、浅間神社や駿府城の近くで製茶されました。その後、牛に乗せて清水港まで運ばれ、ここから積み出されました。つまり、清水港はお茶を積み出す港として非常に重要な役割を果たしていたのです。
こちらに展示されているラベル、いわゆる「蘭字」のラベルは、大正時代から昭和20年代のものです。これらのラベルは、当時静岡のお茶工場で作られた木版画で、今でもその工場の子孫が静岡に住んでおり、博物館に寄付してくれた本物のラベルです。とても貴重な展示物ですので、じっくりご覧ください。
次に、この茶箱たちがどこに向かっていたのかについてご説明します。初めは清水港から横浜に運ばれ、そこからアメリカへ輸出されていました。明治39年からは、清水港から直接アメリカに輸出できるようになり、ここにある茶箱もその時代のものです。
また、静岡鉄道もお茶を運ぶために敷設された鉄道でした。清水港から横浜に運ばれたお茶は、さらにアメリカへと渡り、日本の茶文化を広めました。静岡鉄道は現在でも一部が人を運ぶ鉄道として残っています。
さて、次に清水の地元のお茶の生産についても触れてみましょう。特に盛んだったのは安倍川の上流、足久保という地域です。そこから川を下ってきたお茶が製茶され、清水港から輸出されました。
このように、清水港は日本のお茶を世界に広める重要な役割を果たしてきました。ぜひ、このフェルケール博物館で展示物を見学しながら、清水港の歴史とお茶との深い関わりを感じ取ってください。
本日のツアーはここまでです。ご参加いただきありがとうございました。清水港とお茶の歴史を楽しんでいただけたなら幸いです。次回もまた、素晴らしい歴史と文化をご案内できることを楽しみにしています。
Welcome to Shimizu Port. Today, we will explore the history and culture of Shimizu Port, focusing particularly on its connection with tea. I will be your guide.
First, we will head to the Verkehr Museum. This impressive brick building houses many exhibits related to Shimizu Port. One of the most striking displays is the wall filled with tea chests. These tea chests highlight the importance of Shimizu Port as a major hub for exporting tea across Japan and even overseas.
Since the Edo period, Shizuoka has been renowned as a major tea-producing region. Tea produced in the mountains was transported downriver to be processed near Asama Shrine and Sunpu Castle. It was then carried by oxen to Shimizu Port for export. Thus, Shimizu Port played a crucial role in shipping tea.
The labels displayed here, known as "Ranchi" labels, date back to the Taisho era and the 1920s to 1940s. These labels were made using woodblock prints in tea factories in Shizuoka, and the descendants of these factory workers still live in Shizuoka and have donated these authentic labels to the museum. Please take your time to appreciate these valuable exhibits.
Next, let's talk about where these tea chests were headed. Initially, they were transported from Shimizu Port to Yokohama and then exported to America. From 1906, direct exports from Shimizu Port to America became possible, and the tea chests displayed here are from that period.
The Shizuoka Railway was also constructed to transport tea. Tea transported from Shimizu Port to Yokohama was then shipped to America, spreading Japanese tea culture. Parts of the Shizuoka Railway still operate today, transporting people.
Now, let's touch on local tea production in Shimizu. The Abe River's upper reaches, particularly the Ashikubo area, were especially productive. Tea from this region was processed and exported from Shimizu Port.
In this way, Shimizu Port has played a vital role in spreading Japanese tea worldwide. As you explore the Verkehr Museum, you can feel the deep connection between Shimizu Port and tea.
This concludes today's tour. Thank you for joining us. I hope you enjoyed learning about the history of Shimizu Port and tea. We look forward to guiding you through more fascinating history and culture next time.
【放送内容のテキスト文面】
おっはの~ん。
清水港擬人化キャラクター七海波音です。
第一回 ぶらっと清水、始まります。
清水のいろんな場所をぶらっと歩きながら、素敵な魅力を発見して、お伝えしていきます。
この番組は、
清水をみんなで盛り上げたい、
するが企画観光局、
魅力ある清水をつくる会、
鈴与グループ、
清水港振興の提供でお送りいたします。
さあ、ぶらっと清水、
今日のお散歩のスタートは、レンガ造りの立派な建物、フェルケール博物館です。
学芸部長の椿原さんと、ぶらっとお散歩していきます。
この中には、清水港にまつわる面白い展示物が山ほどあるんですけど、個人的にはね、この壁一面に飾られた茶箱、これがとって気になりました。
椿原さん、清水港とお茶ってどんな関わりがあったんですか。
はい、江戸時代を今から180年くらい前なんですけども、そのくらいからも静岡はお茶で有名でした。
そのお茶を、日本全国に販売するため、そのために静岡の山の方でお茶を生産をしていて、それを一度川を下って、下ろして、今の浅間神社とか駿府城の近くで、製茶と言って飲めるお茶に近いものに作りました。
そこで出来たお茶を、また牛に乗せてずっと運んでいって清水まで持ってきて、清水港からお茶を積み出していた。
ですので、清水港は、お茶を積み出す港として知られていました。
はい。
だからここにその当時使ったお茶の茶箱、それから今だったらラベルっていうのかな、お茶のラベル、当時は蘭字って言ってたんですけども、それが紹介してあります。
なるほど、清水港からお茶を積み出していたからたくさん茶箱があるんですね。
ちなみに蘭字のラベル、これは一体誰がデザインしたものとかわかるものなんでしょうか。
はい、ここにあるラベルは大正時代のラベルと、それから昭和20年代から30年代のラベルと2種類あるんですけども、古い方のラベルについては、木版画と言って浮世絵のような版画で作られたものなんですけど、これは静岡のお茶を作る工場、その中にラベルを作る人が生活をしていて、それからそこで作っていて、今でもその子孫の方が静岡に残っていたものですから、私の先祖が作ったものですと言って、この博物館に寄付してくれた。
そういったものです。
ですから、本物です。
全部本物なんですね。
それに子孫の方々がまだ静岡に住んでいて、寄付もしてくれるなんて、とっても素敵ですね。
椿原さん、ちなみにこの茶箱たちは、清水港から一体どこに向かっていったんですか。
はい、非常にいい質問ですよね。
ここにある茶箱は全て本物なんですけども、清水から船に乗せて、一度横浜に持っていって、それから最初はアメリカに向けて輸出をしていました。
途中でですね、明治39年からなんですけども、それくらいから清水港から直接、アメリカに向けて輸出ができるようになりましたので、それくらいの時期の茶箱が今ここに並んでいます。
よくよく見るとバラの花であったりとか、面白いのはインディアンが書いてあったりとかしますよね。
それを木版画で刷って横に糊でで貼っつけてあるんですね。
よく見てみてください。
なるほど。
最初は横浜に運んでいたんですね。
先ほど、静岡の山からお茶を運んでいたということでしたが、清水で採れたお茶も多いんですか。
はい、清水でもお茶は採れたんですけども、静岡の今の市内の中でも一番お茶の生産が盛んだったのが安倍川の上流ですね、足久保いうところがあるんで、だけどそこで採れたお茶が静岡のお茶としては知られていました。
それが安倍川をずっと下ってきました。
地図を見るとね、よくわかるんですけど、安倍川を下ってくると、今の浅間神社のあたり、ちょっと南側なんですけども、そこのところで川からあげると、今でも安西茶町っていう地名が残ってるんですけども、そこのところが東海道と、安倍川のちょうど間、一番東海道に近いとこだったんですよ。
ですから、そこにお茶をあげて、そこでお茶を製茶をして飲めるようにして東海道で運んでいくっていうのはちょうど一番いい場所だったんですよね。
今でもそこが生者の町として残っておりますよね。
で、当時、江戸時代にはそこでお茶を製茶をして、牛の車に乗せて東海道を横浜まで運んでいったんですけども、荷物やっぱり運ぶには、船で運ぶのが一番便利ですよね。
ですから、清水の港まで牛の背中にお茶を乗せて運んでいたんですけども、先ほども言ったように、横浜ではなくて静岡清水からそのまま輸出ができるようになると、横浜にあった外国人のお茶を扱う商館、それが静岡の茶町みんな移ってきたんです。
で、その商館でお茶を集めて製茶をして、静岡から清水にお茶を移動させて清水から直接アメリカに輸出するようになりました。
そのために引かれたといいますか、敷設されたのがシングルよりも、汽車で運ぶ方が便利だろうっていうことで、静岡鉄道が明治41年ですけども、敷設をされております。
へ~!面白いですね。
静岡鉄道は元々人じゃなくて、お茶を運ぶために出来た鉄道だったんですね。
はい、そうですね。
そのお茶を運ぶ鉄道の人を運ぶ部分、その一部が現在まで、はい、伝わっているということです。
はい、ありがとうございました。
フェルケール博物館はぶらっとするところから始まり、まさかの静岡鉄道の歴史まで、とっても勉強になりました。
さて、あっという間に時間が来ましたので、楽しいお話もここまで。
来週もまたお楽しみにです。
この番組は、
清水をみんなで盛り上げたい、
するが企画観光局、
魅力ある清水をつくる会、
鈴与グループ、
清水港振興の提供でお送りいたしました。